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「これで、いいのだ!」という生き方、バカボンのパパのように
「これで、いいのだ!」
ーーそんなバカボンのパパの言葉をあなたは想い出す時はありませんか?
こんにちは。
立野 博一です。
「これで、いいのだ!」と口に出す時、
何だかわからないけれど……エネルギーが体に戻ってくるように感じます。
そして、「これで、いいのだ!」という言葉は、深い。
未知の深海のような深さを、湛えているようです。
今日はこの「これで、いいのだ!」という言葉をめぐって、
あなたとご一緒に考えてみたいのです。
例えば、何かひとつの仕事をやり終えた時。
そこには「うまく出来た部分」もあれば、「不十分に感じる部分」もあったかもしれない。
それでも「これで、いいのだ!」と、自分につぶやいてみる。
完璧主義を手放して。
「不十分な部分」も含めて、自分自身と状況全体まるごとを、
「これで、いいのだ!」と受け入れる時って、ありますよね〜。
あるいは例えば、「とりかからなくてはならないこと」や懸案は沢山あるのに、
体の不調や風邪をひいて、横になっているしかないーーという時。
「これで、いいのだ!」と、自分につぶやいてみる。
無力な、非力な状況を受け入れるしかない。
赤ん坊のように、ただ横になっているしかない。
そんな時、この世界にはこうして無力な存在に甘んじるしかない人々がいることを、
想い出す。
……それでも人は、呼吸して、生きている。
「何もできない」としても、生きている存在意義があることを、
想い出す。
「これで、いいのだ!」
現状はいろいろ困ったことが在るとしても……、
「これで、いいのだ!」とあえて言ってしまう。
全肯定してしまう。
ここには存在レベルでの深い「何か」が、込められているのではないでしょうか?
とはいえ、
「これで、いいのだ」は、ただ現状を認めて「このままの自分でいい」と、
あきらめることではないとーー
私としては考えたいのです。
「これで、いいのだ!」と無前提に自分を承認しつつ、
同時に未来に向けて変わっていく可能性(変容可能性)を持つ存在でありたい。
それには、自分と状況をおおらかに観る「心と脳の柔軟性」と、
「諦めないこと」が求められるでしょう。
これは簡単なことではないですが(汗)、
できる限り、「心と脳の柔軟性」をキープして、
あきらめないでチャレンジし続けたい。
まとめますと、私=立野としては「これで、いいのだ!」という言葉には
・自分自身と状況全体まるごと受け入れ・承認する要素
・もしも「何もできない」としても、生きている存在意義があるという要素があり、
・とはいえ、ただ現状を認めて「このままの自分でいい」とあきらめることではない、
とも考えたいのです。
作者の赤塚不二夫さんは、「これで、いいのだ!」という台詞に、
本当はどんな思いや意味を込めていたのだろう?
まだ他にも、奥行や深い意味があるかもしれないですね〜。
いかがでしょうか?
よかったら、あなたのご意見やご感想、「気づき」を教えて下さいね。
→→次号に続く
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